種々雑食

好きなコトだけ。

嫉妬するということ

 嫉妬という感情はとても厄介。ざっくり別けると二種類。自分の愛するものに対するものと、自分より優れたものに対するもの。前者に関しては度を超えない限りは持っていてもイイと思うし全く無いのはむしろ寂しいかもしれない。問題は後者だ。f:id:shuzatsu:20141006134825p:plain

 嫉妬なんてしたことがないよ、という人もいる。本当だろうか。人に対して嫉妬したこと無いなんて信じられない。俺は生まれてからずっと嫉妬だらけだ。

 小学校の頃は団地住まいで一丁目や二丁目の豪奢な一軒家に住んでいる友人たちに嫉妬した。家に遊びに行けば庭があり可愛い犬が居た。楚々とした細いお母さんが見たこともないようなキレイで美味しいおやつを出してくれた。ファミコンも発売と同時にたくさんのソフトとともに揃っていた。

 中学に入ると勉強ができたり水泳がうまい同級生やサッカー部の先輩に嫉妬した。通っていた中学では毎年遠泳があり一年生で3kmを泳ぐ。(言い訳だが)早生まれだった俺には体力的にもきつく2kmを過ぎたあたりで伴走しているボートに上がった。クラスメートは皆泳ぎ切った。屈辱的で後々まで残るトラウマになった。

 高校ではモテる奴に嫉妬した。モテるパターンはいくつかあった。音楽ができるやつ、スポーツができるやつ、オシャレなやつ、単純に顔がいいやつ、金持ち。勉強ができてモテたという話は聞かなかった。ただ高校では俺は音楽ができるやつの方に入った。世界が変わった。しかしその楽しき世界など一瞬で崩壊する。「もっと音楽ができるやつ」の存在を知るからだ。更なる嫉妬の増幅。

 こういう人間は嫉妬した時点でマウントを取られている事に全く気づかない。自ら立場を下にしてしまっているのに。その後どんなに下からパンチを繰り返してもマウントを取った相手にはかなわない。下卑た笑いを浮かべるのみ。

  大学に入っても音楽の世界に入ってもその後挫折し社会人になっても状況は変わらない。いつでも「上」がいる。刹那的な満足感を得る場面は増えてはいたけれど基本的には不平不満を抱え世に対して斜に構え。「どうせ」や「結局は」なんていう思考回路になる。不思議と「下」を見ることはなかった。自分が一番「下」の世界にいると思っていた。競争相手が居ないところに行こうとして根がDQNなのにサブカル方面に足突っ込んだり。でもそっちの世界もサブカル努力してる人間が多いから太刀打ちなんて出来ない。行く先がなくなりたどり着いたのは思考停止のパチンカス。そして競馬にもハマり一発逆転思想になっていった。そこは嫉妬感情すら起こらないぬるま湯なド底辺。

 次第に親との関係性が俺に嫉妬感情をもたらしたしたんだろうという安直な考えが出てきた。圧倒的に愛されてなかったのではないかと思い込んだ。すでに他界した父親とは物心ついてから人生トータルで一日分すら会話した記憶が無い。母親は自営の塾にかかりきりだった。18で家を出て現在まで実家で暮らしたことはない。大学も一人で金を作って通った。そんな中で嫉妬感情はどんどんと育った。「なぜ俺だけがこんなに苦労しないといけないんだ」どす黒いけど超甘っちょろい。

 しかし今考えると父親も母親も子供に金を掛けたくて働いていたんだろうし実際弟も含め中高と私立に通わせてもらっていた。関係性もそれほど特異なものではなかっただろう。自分が人より劣る事の責任を(無条件に感情を受け入れてくれるであろう)親に責任転嫁すれば楽だっただけだ。劣るのは単純に自身が何の努力もしていないからなのに。小学校~中学の頃は勉強しなくても成績優秀だった。要領だけでイケた。高校でズタボロ。勉強してなかったから勉強の仕方もわからない。頭がいいやつに嫉妬した。そして音楽をやることに逃げた。勉強なんてしなくても音楽で食えるから、と嘯いた。今ならゼッタイに採らない選択肢だ。戻れるならば首根っこ掴んででも「勉強しろ」とあの頃の俺に説教する。全力で。

 音楽ができるやつはゴマンといる。むしろ努力で越えられない壁はこちらのほうがよっぽど高い。所詮は無理線。ライブハウスに行き叩きのめされレコード会社に拾ってもらってからもコンプレックスの塊のようになっていった。そもそもこんな性格の人間が人前に立つなんて向いてない。果たしてほどなくクビとなり再び底辺の世界へ。フルコミッションの飛び込み営業や飲食と言う今で言うブラックな社畜となった。中途半端に事務所に所属しながら音楽の世界にも未練を残していた。

 会社員になって数年。転換期が訪れた。大幅に嫉妬感情を減らすことが出来た。それは「パートナー」の存在だった。自分を好きでいてくれる人がいる。自分の感情を受け入れてくれる人がいる。これは心の平静を保つためにはとても有効だった。ふとした瞬間に嫉妬感情が出ても「俺はパートナーがいる。大丈夫。まともな人間だ。」と一度振れた感情を戻すことが出来た。特別な人間になる必要はない。普通に生きていてもいいんだ。これは本当に大きな転換だった。

 その後は「淡々と生きる」を目標に過ごした。ついに「努力」をした。いつの間にか嫉妬感情は減っていった。自分のポジションに対してフラットな視線で暮らせるようになっていった。ルサンチマンが解消されていく。足るを知る。そうなると不思議なもので周りに対しても和やかな感情となり自然と優しくなる。周りもこちらに対して優しくなる。世界が優しくなった。

 嫉妬感情は時にモチベーションになる場合もあるけれど多くは時間の無駄だし機会の損失だと思う。無くせるならば無くしたほうが生きやすくなる。その最中にいるとなかなか気付け無いから本当に厄介だけれど。